金剛薩埵
ここ最近、自分の中で少し変化を感じている。
以前なら、
「もういい」
「忘れよう」
そう思っていた出来事が、
時間が経つほど、なぜか心に残っている。
忘れたのではなく、逆に全てを覚えている。
今までより心がより冷静になっていく。
昔なら、
相手の事情を考えたり、
自分が受け入れればいいと思ったり、
そうやって納得させることが多かった。
もちろん、
優しさや寛容さは大切だと思う。
でも、
自分の気持ちを無視してまで合わせ続けることが、
本当の優しさなのかは分からない。
最近は、
「もう無理に関わらなくてもいい。」
そんな静かな選択を選ぶようになった。
それは誰かを否定することではなく、
自分自身を大切にするということ。
そんな心境の変化があった少し前。
ある人との出会いがあった。
その人は、
私に会うことを知っていたという。
初めて会った時、
不思議と懐かしいような感覚があった。
その人は、
これまで経験してきた私の人生について話した。
苦しかった出来事。
乗り越えるのが難しかった時間。
でも、それらはただ苦しいだけの経験ではなく、
その経験があったからこそ、
今のあなたになるのだと言った。
そこから何を受け取るのか。
それも、自分次第なのかもしれないと思った。
そして今日、たまたまアップされていた一本の動画が目に入った。
その内容が、
全て正しいとも、自分がそうだとも思わないが、
他人や自分に抱いていた幻想であり、
最近感じていたことと不思議につながる感覚があった。
私は、いわゆるエンパス体質や安易なスピリチュアルに興味があるわけではない。
波動を上げれば全てが変わる。
願えば現実が変わる。
そんな表面的なものを求めているわけではない。
もちろん、
人の意識やエネルギーが人生に影響することはあると思う。
でも、その先にあるもの。
なぜ人は苦しむのか。
なぜ同じ出来事でも、受け取り方が違うのか。
そこに興味がある。
よく「脱洗脳」と言われる考え方。
それは、新しい何かを信じることではなく、
今まで当たり前だと思っていた自分の考え方や認識を、一度見つめ直すこと。
「本当に自分が見ている世界が全てなのか。」
「自分とは、本当に今思っている通りの存在なのか。」
そんな問いを持つこと。
それは2500年前から伝えられている、
空。
非二元。
そして、
中庸。
ダルマ。
これらは、
より良い自分になるためだけのものではなく、
「自分」というものを深く見つめるための智慧なのかもしれない。
私たちは、
自分自身について多くの思い込みを持っている。
私はこういう人間だ。
こうしなければならない。
こうあるべきだ。
その思い込みが、
時には自分を苦しめることもある。
もちろん、
まだ理解できないことも多い。
相変わらず、
感情もある。
迷うこともある。
エゴもある。
でも、
以前より少しだけ、
感情と自分を分けて見る瞬間が増えた。
その一瞬だけ、
少し自由になる。
金剛薩埵という仏様がいる。
金剛薩埵は、
自分の中にある迷いや煩悩を見つめ、
本来の自分へ戻っていく象徴とも言われている。
大切なのは、
綺麗な部分だけを見ることではない。
最近感じている変化は、
何でも許せる人になったことではない。
我慢できる人になったことでもない。
自分を大切にしながら、
必要なものと必要ではないものを選べるようになったこと。
我慢の先にあったもの。
それは、
自分自身ともう一度つながることだったのかもしれない。