幻想の世界

2026年07月31日

仮想現実って何?


人生で一番苦しい時、人は何を求めるのだろう。


環境を変えれば楽になる。

人が変われば幸せになる。

お金があれば安心できる。

認められれば満たされる。


そう思って、必死に現実と戦う。


でも、どれだけ外側を変えても、また違う苦しみがやってくる。


「あれだけ頑張ったのに、なぜ?」

そう思うことが何度もある。


そして、ある時ふと思う。


もしかしたら、戦っていた相手は、自分自身だったのかもしれない。




私は別に、スピリチュアルな人間ではない。


むしろ、かなり現実的だと思う。


「許せば自分が楽になる」


そんな簡単な話ではない経験もしてきた。



心の傷が自分自身への刃となりトラウマになる事もある。


相手がいる場合も、

誠意も謝罪もない相手を、ただ受け入れることが本当に正しいとは思わない。


だから、自分を守るために距離を置くことも必要だと思っている。


時には、

「絶対に許さない」

「同じ思いをさせてやりたい」


そんな黒い感情が出てくることもある。


でも、それもまた私の一部だった。



スピリチュアルの世界には、大きく分けると二つの方向がある。


一つは、神秘主義。


波動を整える。

周波数を高める。

引き寄せる。

宇宙の流れに乗る。


これは、自分の状態を変えることで、現実を変えていこうとする世界。


人の意識やエネルギーが、自分の人生に影響することは確かにある。

でも、これには終わりはなく、


その先にあるものがある。



それが脱洗脳主義。


2500年前にお釈迦様が唱えていたものだ。


目覚め。

覚醒。

非二元。

空。

中庸。

ダルマ。


これは、「もっと良い自分になる」という話ではない。


むしろ逆。


今まで必死に守ってきた「自分」というものを、一度疑ってみること。


私は何に傷ついているのか。

なぜ、それほどまでに認められたいのか。

なぜ、許せないのか。

なぜ、失うことが怖いのか。


そこには、自分でも気づいていないエゴが隠れている。


例えば、鏡に映った自分の顔が気に入らない時。

鏡を壊しても、自分の顔は変わらない。

でも、鏡を磨いたり、自分自身を見る目が変われば、見える世界は変わる。


もしかすると人生も同じなのかもしれない。


私たちは、外側の世界を変えようとして必死になる。

でも、本当に向き合うべきものは、自分の内側にある感情なのだ。



ただ、私はまだ「この世界は幻想だ」と完全には理解できていない。


自分自身はないと言われても、


まだまだエゴゴリラだらけだ。


でも、昔と違うのは、

そのエゴに完全に飲み込まれる前に、


「あ、自分は今、怒り=悲しみに支配されているな」


と気づく瞬間が増えたこと。


その一瞬だけ、少し自由になる。

苦しみは、なくすものではないのかもしれない。


怒りも、嫉妬も、執着も、

人間として生きるために必要な経験なのかもしれない。


でも、それを自分そのものだと思い込んだ瞬間、苦しみになる。


感情は波のようなもの。


波に飲まれるのか。

波を見つめるのか。

そこに大きな違いがある。


私はまだ、悟った人間でもない。

むしろ、怒りも悔しさも持った普通の人間だ。


でも、だからこそ面白い。


人間として泥臭く生きながら、

その中で少しずつ自分自身を超えていく。


もしかすると、それが本当の意味での成長や目覚めなのかもしれない。



波動を上げることも大切。

現実を変えることも大切。


でも最後にたどり着く場所は、

何かを手に入れる場所ではなく、


余計なものを一つずつ手放して、


本来の自分に戻っていく場所なのだと思う。




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