“何者でもない”者

(苦しみの正体とは)
魂の目的は、人それぞれ違う。
何に幸せを感じて、何が使命なのか。
それにいつ気づくのかも分からないし、気づかないまま進んでしまうこともある。
もし魂の望みとズレたまま生きていたら、
また同じような課題を、形を変えて繰り返すことになるのかもしれない。
この5か月間、私は嫌でも自分と向き合わされる時間を過ごしてきた。
焦りばかりが先に立って、
「早くしなければ」
「早く戻らなければ」
そんな思いにずっと追われていた。
どこかで私は、
「自分には人を導く役目がある」
そう思っていたからこそ、立ち止まっている時間に強い不安を感じていたのだと思う。
でも、その時間の中で気づかされたことがある。
この時間は、ただ止まっている時間ではなかった。
「また同じことを繰り返したいのか」「本当はどう生きたいのか」
そんな問いを突きつけられる、
"自分の違和感に気づかされる時間"だった。
いざ状況が抜けてきて、
「やっといける」と思って動こうとしても、なぜか力が出なかった。
前に進みたい気持ちはあるのに、動けない。
その感覚に最初は戸惑ったけれど、
今は少し分かる気がしている。
だから今は、やっと落ち着いてエネルギーチャージの時間を過ごしている。
そんなに急がなくていいや!と。
これまでずっと走り続けてきたような感覚があって、
正直、「休む」ということをちゃんと自分に許してこなかった。
大変だった時ほど、
「もっと早くこうしたい」
「もっとこうしなければ」
そんな思いが強くて、渦中にいる時は、自分の本当の疲れにすら気づけていなかった。
でも今になって、ようやく分かる。
今までの私は、心の余裕がなかった。
いつも仕事のことを考えて、
何かになろうとして、
誰かの期待に応えようとして、
気づけば、自分を満たすことを後回しにしていた。
自分のエネルギーを、
誰かに与えることばかりを考えていた。
でも、その状態ではどこかで無理が出る。
自分が満たされていないままでは、
本当の意味で与え続けることなんてできないから。
そして、ずっと感じていたあの苦しさの正体にも、やっと気づいた。
それは、
「うまくいかないから」でも
「お金がないから」でもない。
「愛されていないから」でもないし、
「認められていないから」でもなかった。
本当の理由は、もっとシンプルだった。
本当の望みを生きられていないこと。
本来の自分を出せていないこと。
これが、一番の苦しさだった。
今までは、それでやってこれた。
その時はそれが必要だったし、それがいいと思っていた。
でも、これからは違う。
「こうでなければいけない」
「こうあるべき」
そんな縛りを握りしめたままでは、
本当の意味で自由にはなれない。
そう気づいたとき、ふっと力みが抜けていった。
もっと隙間を作って、楽に生きていい。
頑張り続けることだけが正解じゃない。
常に何かを成し続けることだけが価値じゃない。
何者かになろうとしなくてもいい。
これから迎える"セカンドステージ"は、
「新しい自分を発見する」ということ。
今までの延長線で無理に進むのではなく、
まだ知らなかった自分に出会っていく時間。
それは別に、特別な何かになることじゃない。
「何者でもないもの」として、
ただ自分の感覚を大切にしていくこと。
そう思えたとき、
今までずっと背負っていたものが、
すっと軽くなった気がした。
焦らなくていい。
これからは、ゆっくりでいい。
今の私に一番必要なのは、
結果でも、役割でもなくて、
余白。
何も背負わず、
何かになろうとせず、
ただ自由に羽を伸ばすこと。
「何者でもないもの」として、もっと軽やかに。
そしてきっと、必要なときには分かる。
動くべきタイミングも、
進むべき方向も、
頭で無理に決めなくても、
ちゃんと感覚としてやってくる。
「いざ進め」
そんなサインは、必ず来る。
だから今は、安心してこの時間に身をゆだねていきたい。